信濃路決闘




「貴様もわざわざ馬加の冥土の供を願いに来たか」

 乞食の少年が振り向きざまに呟いたのを聞き、冷たい刃が自分の頬に当てられたような感を覚えて犬川荘助は慄然とした。
 年は自分より些か若かろう、一見すると少女とも間違えそうな彼の顔は、乞食身分とは思えぬほどの怜悧さに満ちた瞳を見目良い位置に据えている。汚らしい風情ではあるが、着物の裾から見え隠れする肌は仄白く、やはりどこか場違いな雰囲気を彼は兼ね備えていた。
 時は文明十四年六月、処は信濃国下諏訪、荘助は少年を改めて睨みすえた。

 ――――――只者ではない、と二人は同時に悟った。
 荘助は奪った脇差を疾風の如く抜いて構える。少年ももう一本の刀を同様同時に構え、瞬時、二人は飛び退って刀を打ち合えるだけの間を取った。
 初めに撃ちかかった相模小僧の動きは速く、荘助の刀はそれをなんとか受け止めきって身体を翻した。
 ぎいん、と鋭い音が鳴り響く。
 双方ともに稀に見る素晴らしい刀であると二人は知っている。荘助は断絶した我が家の伝家の宝刀、相模小僧は亡父の仕えた千葉家への嘗ての献上品だと各々認識していた。一方は小篠、他方は落葉、併せて雪篠、何れも譲れぬ名刀である。
 もう一合。今度は初めて荘助が攻めた。力そのものではやや荘助に利があるのだろう、相模小僧は身軽な細身を宙に舞わせ、一度地に足をつけてから刀を振り上げた。
 素早い斬撃に切り返す糸口がなかなか見つからず、荘助は相模小僧の刀を受け止めては返す。その太刀筋は全く独特で、荘助の脳裏にふと過ぎったものがあった。

 ――――――独学だろうか、まるで見たことのない型だ。

 ――――――この若侍、ただの盆暗ではない。

 相模小僧も同時に思い、小篠と落葉はまた大音を発して一閃を閃かせた。
 両者とも息一つ切らしていない。


*****


 犬川荘助を追って走ってきた犬田小文吾は、やっと見えてきた途の向こう側に刀が閃く光を見た。
 これまでの付き合いは決して長いものではないが、義兄弟である荘助の気性は大体分かっている。基本的には理性的な性格だが、どんな小さな悪でも見逃してはおけないのだ。荘助が何かやっているのではないか、そう考えて小文吾の不安が増した。

(やはり、そうか)

 更に走ると、二人の若者が刀を交えていたのが確認できた。片方が荘助なのは服装で分かる。
 すると、戦っている相手は誰なのか。自分たちが追われる身だということはわかっているのでもしや追っ手だろうかと思ったのだが、乞食の風体をした十七、八ばかりの少年が荘助と互角に渡り合っているのを見ると小文吾は一瞬驚いた。
 見覚えのある美しい顔である。長く伸ばした黒髪が空に広がる様は、まるでいつか見た舞姫が行った芸を見ているようだった。
 思い浮かぶ人物があって、小文吾は慌てて大声を出した。

「犬川うじ、刀を収めてくれ! それが以前話した犬阪うじだ! 毛野も戦うのをやめてくれ!」

 荘助は聞く耳を持たない。毛野と呼ばれた相模小僧も同様、剣技に集中しているために小文吾の声が聴こえない。
 このままではどちらかが相手を殺してしまう可能性もある。もはや手段は選んでいられなかった。
 傍に、石の柱が大きく聳えていた。

「二人とも、やめろ!」

 行徳一の関取だった小文吾の怪力は石柱をもゆっくりとではあるが持ち上げ、小文吾はそのまま二人の撃ち合いの中に石柱を降ろした。
 無論それを避けている暇などなく、二人の刀が勢いよく柱に撃ち下ろされる。


*****


 ガチン!
 ガチン!


*****


「…………」
「……………………」
「………………………………」

 三人の異様な沈黙が辺りの雰囲気を占めた。

「…犬田どの」

 そう切り出したのは荘助だったか。
 見事真っ二つに割れた脇差を示し、彼はどうしてくれるのだといったように長身を見上げて言った。

「おや犬田どの、本当に久しいですね」

 荘助と敵対していたはずの毛野が、冷徹な視線を小文吾に向けた。
 彼の折れた刃先は草むらのどこかへ飛んでしまい、見つけるどころではなくなっていた。

 唯一無事なのは、無論小文吾が投げた石柱のみである。
 二人の厳しい視線を浴び、小文吾はひたすら恐縮しては鍛冶屋のある町にはいつ着けるのだろうかと必死で心に関東地図を描くのであった。


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2003/10/27

 いろんな意味で笑えないif。

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