OVA「THE 八犬伝」について
  OVAとの出会い
  第一印象
  映像と演出
  音響
  登場人物


 正月の三が日も明けやらぬ某日、店主は某有名電気専門街に足を踏み入れてこれを見つけた。この映像とは五、六年ぶりの再会と相成ったわけ。
 アニメは見慣れているので、かなり細かいところまでつっこんでいると思う。

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OVAとの出会い

 店主がOVAと出会ったのは98年のことであり、これは「新章」が発売されてから四年の月日が経過した頃。ちょうど我が家にて受信していた「ファミリー劇場」のゴールデンウィーク特番としてこのOVA放映が組まれたことがあった。ファミリー劇場というのは、昔の名作アニメ(当時は忍空-NINKU-、マジンガーZ、はいからさんが通る等)や特撮(ハリマオ、ゴレンジャー)をリバイバル放映しているチャンネルだ。
 その数ヶ月前、三つ下の弟と共に生越嘉治氏の児童向抄訳本を読了していた。それゆえ店主はゴールデンウィークの暇を用いて弟妹とテレビの前に座り込むことになった。


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第一印象

 当時幼かった店主としては、まるで革命のようなアニメだった記憶がある。夕食の時間にかかるからという理由で「新世紀エヴァンゲリオン」もオープニングテーマしか見たことがなかった自分に、いきなりアニメのカルチャーショックが起こった。
 何と言っても血みどろなのだ。赤がふんだんに、且つ効果的に使われている。でろでろとしている(抽象的過ぎる表現)。雑魚とはいえ妖怪がわらわらと出てくる。犬士たちはそれをざっくざくと斬っていく。ビジュアルも演出も細やかで暗い。いきなり画面に登場する骸骨に背筋を寒気が走る。毎週の「ドラえもん」を見慣れていた店主と弟妹にとっては、毎回その動き一つ一つをじっと見守らざるを得なかった。
 だが同時に、この残酷であり儚い夢幻世界に確実に引き込まれる自分がいたのも決して否めない。一度迷い込んでしまうと、もう二度と戻っては来られないような気がする。そんな作品だ。

 ちなみに、この「ファミリー劇場」は、当時店主の周囲の広い範囲で受信されていたため、学級内の友人間で「THE 八犬伝」の話題が交わされていたこともあった。特に担任教師が国語が専門であったため、様々に感想を聞いたと思う。
 また、成績は普通だが知能指数の高そうな某友人が「誰も人を斬ったことなどないから、人を斬ったときにどのように血が吹き出るのかはほとんど想像によるものだ」との講釈をぶちかましたのを明確に覚えている。
 今頃どうしてるかなあ、皆。

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映像と演出

 毎回の作画タッチにバラつきがある(新章第四話「浜路再臨」と第五話「犬士冥合」は続けて観るとおそらく驚くだろうことに間違いない)ものの、91年、94年のものにしては非常に高い完成度。リアルな時代劇、幻想譚。アクションシーンの動きにもなかなか注意を払っていて目が離せない。新章では飛び散る血、千切れる首や腕などの残酷な描写をかなり減らしているようにも思えるが。
 「紅い橋」「紅い風車」という演出が全体を通して一つのモチーフになっている。「THE 八犬伝」をそのものたらしめているのがこの橋のシーンだと断言しても良いかもしれない。紅いアーチの橋に網乾左母二郎というセットが外せないのだ。また、新章で蟇田素藤の幼少時代が登場するのもこの場所だし、道節が毎度網乾に惑わされるのもここだ。対蟇田戦では黒い煙が橋を模り、対牛楼の美しい襖も紅い橋を描いている。紅い風車は、オープニングで幼い伏姫が持っているのでもわかる通り。玉梓も、蟇田も、大八も、風車を携えている。八犬伝の絢爛豪華な異世界の雰囲気をこの妖しい橋と風車で見事に現している。
 第一期については、まず妖怪や化物の描写を特に挙げたい。特筆しておきたいのが第三話「婆沙羅舞」と第五話「夜叉囃子」だ。
 「婆沙羅舞」では道節と浜路、荘助の挿話が入っているが、その中でも道節の過去を示す苦悶の仏像の映像が、まるで視聴者の寒気を誘引するかのようにうまく挟み込まれている。
 「夜叉囃子」では信乃と現八の両名が小文吾に助けられるが、信乃が破傷風にかかって日夜悪夢を見るシーンがある。この悪夢が、どこからどこまでが夢で現実なのかがわからなくなるのだ。例の「紅い橋」を渡って妖怪どもがやってくる。網乾や女の人影が見える。探していた浜路もどこかに消えてしまう。「THE 八犬伝」のスタッフが得意とする幻想表現の真骨頂だと思う。また、直後に房八とぬいの血液が信乃の体を濡らして信乃は蘇生する。この瞬間の表現も見逃せない。起き上がった信乃が血に濡れているのは妙に不気味ではっとさせられる。
 新章では先述した通り、第一期ほどのリアルでグロテスクな表現はしていない。第一期では妖怪や鬼に人が殺されるシーンを余すことなく直接描写しているが、新章にはそれがない。そのような意味では安心して見られるかもしれないが、相変わらずインパクトが大きいことには変わりない。
 里見義実と蟇田素藤、そして玉梓の挿話を部分部分に挟みこんでいるため、原作を読了していなければ話の筋を理解するのに苦しむかもしれない。だが、ドラマチックで華やかだ。原作さえわかっていれば、この演出には拍手を致すしかない。
 また、「紅い橋」の他に新章では蝶々を用いている。船虫を捕らえようと触ると、船虫は服を残して無数の蝶々となり消えてしまう。儚く捉えどころのないものをオーソドックスな方法で象徴したと言ってもいいかもしれない。この点、表現が第一期よりも弱くなっているらしい。

 余談。
 先日、トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」を観た。明治初期の日本を舞台にしたハリウッド映画であるが、その際の場面背景と「THE 八犬伝」の映像の背景が非常に似た雰囲気を持っていた。というのも、日本の寂寥感、ノスタルジックな美しさがそこにあったからだ。日本の古典文学を映像で表現する際、そのような姿があるべきだと店主は思う。

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音響

 音楽はTHE TOPSのくどう隆氏が全て担当されているが、この音響効果もまた異世界の雰囲気を引き立てている。店主はテレビ番組に相応しい音楽を求める人間なので、この音響は非常に嬉しかった。
 新章からついたオープニングも、画像と相俟って和風の爽快さを醸し、且つ最初の紅い風車と、黒地に紅文字というタイトルで作品全体の持つ妖しさが垣間見える。また、第一期第二話のタイトル「闇神楽」に象徴されるように、音楽にも神楽の様式が持ち込まれていることもわかる(ローカルな話で申し訳ないが、宮崎空港の出発ロビー近くにある時計は一時間毎に神楽を演奏するようになっている。聞き比べていただくとわかると思うが、「THE 八犬伝」のBGMと被る箇所もあるだろう)。
 第一期エンディング、「雨が三日続くと」「FRIENDS」はTHE TOPSによる。前者はバラードで、第一話、第三話、第五話。後者はロック調で第二話、第四話、第六話。第三話で死んだ浜路を葬る荘助と月を見上げる道節、第五話では房八・ぬいの死を通して三犬士が海に面した岩場に座っているシーンがある。涙もろい人にはたまらない音楽に違いない。
 新章のエンディング「旅〜生命の章〜」は、INVOKEによる。これはピアノにギターを使用した優しいバラードで、映像の清々しさも加わって、それまでずっと妖しかった世界観を一変させている。おそらくこのような演出が新章スタッフの好みに合ったのだろうと思うと納得。ここでは八犬士が全てを終えた後に出る旅をイメージしているが、彼らがどのような旅をしているのか想像するのも視聴者の楽しみの一だろう。
 OVAでは浜路と犬坂毛野が笛を吹く。丶大法師や伏姫が登場するシーンでは鈴が鳴る。行徳では夏祭りの囃子が聞こえてくる。これらの「ナマの楽器の音」も是非チェックしたい。
 また、音楽以外で指摘しておきたいのが、例の「紅い橋」に絡む異世界を表現するシーン。泡が弾け飛ぶような、儚い音がふんだんに利用されている。先述した神楽、仏教音楽なども取り入れ、オカルティックな情景に仕立て上げている。


2004/01/06


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