お品書き > 読物 > 過去の雑記 一



2004/02/01

更新: 二次創作・八のお題3「看板娘の憂鬱」

 別に沼藺は美人ではないらしいから古那屋の看板娘と書くのはどうかと思うが、一度決めてしまったものは致し方なく。
 にしても当サイトの沼藺は異色だなあ。房八は剽悍だし。

 万葉集と古今和歌集と新古今和歌集のどれが好きかと聞かれれば、技巧に長けた和歌の多い新古今和歌集を一に挙げたい。
 万葉は素朴、古今は優美繊細、新古今は幽玄とされる。万葉は上代独特の助動詞や副詞が多く、古今では掛詞や枕詞を使い始め、新古今では体言止めや本歌取りがある――高校古典で学習したものをそのまま受け売りしているだけだが。
 掛詞が非常にいいと思う。一つの言葉に複数の意味を持たせるという詩的な表現が気に入っている。
 万葉では純粋に自然の様子や恋心を表現したものが多いが、古今以降の八代集からは和歌に言葉遊びを含める趣向が強くなっている。言葉遊びそのものが私の目指しているものであるから、古今以降に惹かれるのは当然かも。故に同じ古今でもストレートに感情を表現する在原業平よりは華麗に掛詞を使いこなす小式部内侍の方が好みだ。
 詩や和歌は、多少気迫に欠けていても、文芸は芸術であるという信念が失われていなければそれとしての体を成すと思うのだ。

 ……と自分をフォロー。
 「対牛楼」や「願成院」のアレはそのような土壌から生まれたものなのだ。
 今更書いてもどうということはないが。




2004/01/20

更新: 二次創作・捧げ物「濱路塚」

 年末に書き上げたもの。焦っていたので……いや、あまりつっこまないで頂きたく。

 犬江親兵衛には従者がいる。姥雪与四郎、音音、曳手、単節の所謂「元・道節様の世話役」組。それから親兵衛が自主的に集めた政木大全(従者と言うには少し目立つが)、石亀屋次団太、百堀鮒三だ。
 さてこの七人、共通点がある。
 ぶっちゃけて言えば、「親兵衛に続くことで人生やり直した」人々なのだ。
 「道節の世話役」組は元より、政木大全も扇谷から里見に乗り換えたし、次団太と鮒三は町人から武士として職業転向を成し遂げた。
 更に言えば、「一度死んで生まれ変わった」人とも言える。
 姥雪夫婦と嫁夫婦は荒芽山で一度死んだところを伏姫に助けられ親兵衛の養育係として生まれ変わった。大全は処刑されかけたところを政木狐に救われる。次団太は投獄されていたところを毛野に助けられた。それぞれ「道節世話役」組は扇谷への復讐、大全は扇谷の家臣であるというマイナス面を背負っていたが、蘇生した後は親兵衛に続いて華々しい活躍を飾るのだ。
 この「再生(というか誕生)」というテーマは、碧也版「八犬伝」や「BLIND GAME」の方で取り上げられているのでまた参照してみたい。
 また、犬江親兵衛自身も親の死と引き換えに犬士としての新たな命を吹き込まれたことを忘れてはいけない。この再生によって彼は不自由だった片手が開いた。このとき同時に「再生」した犬塚信乃のことも挙げられる。
 八犬伝の大元である伏姫もその範疇に含まれる。彼女は生前は犬の妻として「穢れ」を背負わされていたのを、割腹自決によって女神へと昇華することになった。
 八犬伝のテーマは、「勧善懲悪」であると同時に「再生」の物語でもあるのだ。

 ………生まれ変わりたきゃ一度死ねということか。どなたか、伏姫の加護を受けるために危険な目に遭ってみようという方は?




2004/01/08

更新: 「宝物」頂き物イラスト

 フリー配布という響きに弱いらしい店主。早速ダウンロードして掲載させて頂きます。

 碧也版「八犬伝」の太田新六郎助友がかっこいい。
 道節のライバルだから機転も利いてやることなすことかっこいいのは当然だが、ビジュアルもあそこまで美形だととても贔屓にしたくなる。
 山林房八も良い。勿論顔は信乃とよく似ているが、服装は普通の町人。着流しだ。しかも体格も態度がそれなりに大きいので、一見すると「ワイルドな犬塚信乃」ともとれてなかなか良い感じ。信乃は据え膳に手をつけなかったけど、房八はちゃんと結婚して子供まで作っているわけだし。同じ顔でも甲斐性の有無に差が…。
 ただ、音音はもうちょっと迫力があっても良い。育ちの良さを感じさせる外見になっている。この後鉄砲薙刀振り回すならいっそのこともっとコワイ婆さんにしてもよかったのでは。
 「八犬伝」の男はなんだかんだいっても魅力的だ。この調子で河鯉孝嗣@政木大全も大物っぽく……と願いたい。




2004/01/07

更新:多種多様感想・OVA「THE 八犬伝」。トップイラスト交代

 先日ついにオリジナルビデオアニメーション「THE 八犬伝」のDVDを第一期・新章共に入手したので、早速感想を書き連ねた次第。登場人物については後に追加する予定。
 また、碧也版「八犬伝」も七巻まで集まったので、そのうちどこかでゆっくりとコメントを書いていきたい。

 今日は犬山道節と犬飼現八について。
 小学生の頃はキャラクタがうまくつかめなくて印象が薄かったのだが、この二人の魅力に最近急激に開眼した。
 OVAと漫画のせいである。
 道節については後にOVAの項に書くが、「てめえ、何泣いてんだよ!」の台詞がインパクトに残って以来気になって仕方がない。最年長者のくせに大人気ないし、怒りっぽいし、お坊ちゃんだし、一匹狼だし、突っ走り気味。微笑ましく見守らねばという気にさせられる。実は親兵衛以上に母性本能をくすぐるキャラクタ?
 現八はOVAと漫画の双方。昔OVAを見たときは登場当初の奇声しか印象に残っておらず、単なる「恐い人」として認識していたらしい。だがそれも改まり、特に碧也版漫画の現八は恐ろしく男前なことに気づく。「普通にいいひと」好きな店主にはたまらない。
 また何か書けたらいいな。
 今文章で考えているのはお題の「角力」。房八と沼藺のことを書くつもり。

 何はともあれ、2004年の始まり。四月から更新回数を激減させるつもりだが、どうか今年も「うたかたの橋」をよろしくお願いします。




2003/12/27

更新:私説八犬伝人物像・山林房八。私説八犬伝人物像・犬江親兵衛仁の誤字修正。トップイラスト交代。入り口をいじる

 ひとまず、元旦より一週間はこの絵をお品書きに置くことに。おそらくは今日が2003年最後の更新。

 今日は政木大全孝嗣を語る。語るったら語るのだ。
 店主は孝嗣のことをいい男に違いないと思っている。なぜか。毛野に対して柔和だからだ(端的)。
 生まれも良ければ育ちも良い。馬琴だって彼の挿話は八犬士に勝るとも劣らない分の頁数を割いているのだ。孝嗣は馬琴のお気に入りでもあるのだ。
 五十子落城には彼の父河鯉権之助守如が無意識のうちに加担してしまったことになるが、その際も父の遺言を守って扇谷定正に加勢しに行く。少数ながらも見事な奮闘ぶり。その後彼は道節に取られた定正の兜も取り返す。親兵衛にくっついて旅をするが、いなくなったかと思うと伏兵のように出てきて里見方に加勢。おまけに講和の副使に任ぜられるという(正使は我らが美少年軍師犬阪毛野だ)。
 これで萌えずにどうしろと。
 主君には忠実だし、律儀で実直な男だ。しかし最終的には自分の意志に忠実にあろうとする。人生やり直した後も暗さがない。堂々としている。どうやらこういうキャラクタを見ると店主の心は清々しくなるようだ。
 というより、復讐に燃える道節と毛野に対して激昂しないだけの余裕があるから心惹かれるらしい。父はあなた方を恨みながら死んだが、きっとわかってくれるし、俺はこのことを恨みには思わぬ。そう彼は言うのだ。それまで復讐一途に生きていた道節と毛野、とりわけ毛野にとってはどんなに影響のある言葉だろう。彼らにとっては「やられたらやり返す」のは当然で、そんな彼らに「やられても敵の正義を信じているからやり返さない」孝嗣は世界観をひっくり返しかねない存在に違いない。その上、毛野は復讐を遂げた直後だ。人生の全てを賭した復讐という大仕事を終え、これから何をしたらいいのか目処が立っていないときに、復讐をよしとしない人物に出会った。それは毛野の混乱を生む。今までの自分の行為はなんだったのかと当惑を覚えるのだ。

 ……いつの間にか毛野語りになっているが(しかも一部妄想充分)、気にせずに。
 店主の「孝嗣−毛野」の関係はこんな風である。そのうち創作の形にして発表することもあるだろう。




2003/12/22

更新:「連環」南総里見八犬伝関連を一件追加

 かねてより閲覧させていただいていた「ぴんくの王国」をついに環に加えることに。なんというか社会的に認められてクリエイター活動をなさっている方のサイトと直接繋がるというのは大変畏れ多い。
 いいのかなあ(どきどき)。

 碧也版八犬伝2巻を読んだ。話が進んで信乃と額蔵が仲間になり、濱路の受難、道節が登場……という筋。
 網乾左母二郎がいい。網乾。網乾に尽きる。
 OVAを観たときも思ったが、網乾左母二郎という男は濱路に恋慕をせずに村雨にだけ執着しておれば妖しさがひどく増したものだ。OVAも碧也版も網乾に共通するのはその点である。美青年と美少女という取り合わせよりも、美青年と名刀という取り合わせの方が網乾の闇を映し出すに適している。
 とはいっても「さもしい」名前をつけるくらい、馬琴は網乾を嫌っていた。外見は色白で美しいがおべんちゃら好きで酷薄というタイプは馬琴の道徳に真向から反する。ゆえに原作中の網乾はかっこ悪く無様な最期を迎えねばなるまい。網乾が美少女濱路にだらしなく惚れこむのにはこういう経緯があったのではないかと推察、してみたりして。
 2巻の名場面の一つといえば濱路くどき大塚編(言うまでもなく後に甲斐編がある)。彼女を妹扱いする信乃と深く信乃を慕い続ける彼女のすれ違いといったところか。
 この濱路一連のシーン、何か物足りないような気がするのである。何かはわからないから非難はご勘弁。寂寞肩柳道人との経の同時化はとても良いが、それ以前の場面でもう一つ欲しいような気がするのだ。
 濱路の心の闇だろうかとふと思い当たる。濱路が養父母に蝶よ花よともてはやされるのは人前だけで、隠れたところでは撫でるふりをされつつも実はつねられていたという記述が幾つかの抄訳本にある。おそらく彼女は自分が愛されていない子供だと敏感に感じ取っていただろう。
 すると慕情の対象は少なくとも父母へは、大人には向かわない。濱路は大人を信用しない。慕情の対象としての理想の夫が犬塚信乃だ。何度も強調するかもしれないが、信乃と濱路は互いに欠落した部分を持っている。ただし父を失った後の信乃は額蔵という味方を得て狷介さを和らげ、理想の男子としての姿をより明確にした。一方濱路の家庭内でのどうすることもできない孤独は続いている。だから濱路は信乃を頼るのだ。信乃と濱路は似た者同士だが、信乃は父の死を乗り越えた。濱路はそれに憧れているのかもしれないのだ。
 また、愛されない孤独は誰かを慈しむことでほんの少しではあるが和らぐ。濱路はその対象を額蔵や小動物に設定したとも考えられよう(額蔵は小動物並かとつっこんではいけない)。
 碧也版八犬伝ではそこが物足りなかったのか。いや、それでも店主の考えすぎの可能性が大いにありうる。




2003/12/16

更新: 「宝物」頂き物イラスト。トップイラスト交代

 ずっと飾っておきたかったが、人様からの頂き物を長々とトップに置いておくのもどうかと思ったので新たに「宝物」を新設。

 最近、浜たかや氏の児童向抄訳本にざっと眼を通した。山本タカト氏の挿絵が非常に美麗。八犬士の容姿端麗もさることながら、山林房八(信乃と同じ顔だが)も美形で嬉しい限り。濱路・濱路姫もしおらしさが増した感じ。
 それ以上に悪女がかっこいい。というか箙御前。箙御前がいい。なるほど悪女だと思わせるような思い切りの良さは船虫以上だ(あくまでも挿絵を見ての話)。
 話の流れとしても、原作の矛盾を幾つか改変しつつうまくまとめあげている様子。船虫が男前で見ていて気持ちがよい。末期の様も潔い。蟇田素藤が濱路姫に結婚を申し込み親兵衛が登場するまでの顛末も割と筋が通っている。里見義成は冷静沈着。また、洲崎海戦に丶大法師が参加しないのも浜氏が丶大の信念に敬意を払ってのことだろう。
 犬士の個性もはっきりとしている。親兵衛は神童(棒)だから別格として、現八は武芸百般で無口(十手)、荘助は控え目で堅実(槍)、毛野は技巧派の美少年(手裏剣)、小文吾は情に厚い巨漢(棍棒)、信乃は典型的な英雄像(双刀)、大角は四角四面で博覧強記(薙刀)、道節は向こう意気の強い負けず嫌い(大刀)。
 中でも大角のキャラクタが嬉しい。洲崎海戦で次々に逃げていく敵兵たちに舌打ちしながら説教。非常識なほどに教養に満ちた男である。




2003/12/07

更新: 私説八犬伝人物像・蜑崎十一郎照文

 師走である。店主も多分に漏れず忙しい。ゆえに元からふらついていた更新速度がほぼ停滞気味。
 小話を書きたい。八のお題「3: 角力」の話も少しばかり思いついたのに、なかなか書く時間が与えられなくて困る。嗚呼年末。
 書きたい内容だけ思いついて溜め込んでしまっても書く気が起こったときに到底生産量が追いつかないのが店主の特徴。このサイトは何があっても末永く運営していくつもりではいるのだが。

 徒事を紡ごう。更新を少なくしている分、今日は長い。またもや毛野の話になりそうなのだが。
 以前電子辞書をめくっていたらたまたま見つけたのだが、性同一性障害というものがこの世に存在するのはご存知かと思う。
 以下引用。

 人間には生物学的な性(セックスsex)と、心理的・社会的な性(ジェンダーgender)があり、個人の中で両者の性に対する自己意識が一致しないことを言う。つまり、生物学的には完全に男女どちらかの性に属し、本人もそれをはっきりと認知していながら、人格的には自分が〈別の性に属している〉と確信している状態を指す。日本精神神経学会によれば、〈性転換症〉とも呼ばれる。1996年7月、埼玉医科大学の倫理委員会が治療のために性転換手術を医療方法として認定したことで、広く知られるようになった。1985年に発表された米国の研究によれば、男性の2万4000〜3万7000人に一人、女性の10万3000〜15万人に一人の割合で、性同一性障害が発生している。日本国内で治療を必要とする人は2200〜7000人という試算もあるが、この10倍とも推定されている。国際診断基準であるDSM-IVによると、次のような症状がある。(1)反対の性に対する強く持続的な同一感をもっていること。子どもの場合、男の子が女の服を着たがる。女の子が男の子のゲームをやりたがる、など。青年になると、別の性として扱われることを望み、別の性になりたいという欲求を口にしたりする。(2)自分の性に対する持続的な不快感をもっていること。男の子は自分のペニスを気持ち悪いと感じ、女の子は乳房がふくらんだり、月経が始まってほしくないと主張する。青年になると、自分が間違った性に生まれたと感じたり、反対の性らしくなるために、ホルモン療法や手術などを要求する。(3)こうした障害のために、臨床的に強い苦痛を感じ、社会生活の重要な機能に障害が起きていること。原因については、胎児期の生物学的な要因も指摘されている。人間の遺伝的な性は受精の瞬間に決まるが、身体的・心理的な性差は発生の過程と共に表れる。妊娠8〜10週くらいに生殖器官が発達、20週ごろから脳の性差が生まれ、これが性の自己認知に重要な役割を果たすといわれている。ドイツの生物学者ダーナーらが、妊娠したラット(ねずみ)を強いストレスにさらしたところ、この母親から生まれたラットのオスは、両性愛または同性愛的な性行動が見られた。さらに、人間の同性愛者794人を対象とした調査では、第二次世界大戦の激しかった1944〜1945年に生まれた男性に多いという結果が出た。このことから、母親が妊娠中におかれた環境が、子どもの性行動に影響すると考えられている。このほか、乳児期の接し方や、両親の子どもに対する態度など、出生後の社会的な要因も性の自己認識に関与していると思われる。1997年5月、日本精神神経学会は<性同一性障害に関する答申と提言>を発表した。このなかで診断と治療のガイドラインを設け、精神療法やホルモン投与でもうまくいかない場合には、正当な医療行為として手術療法を承認した。

 これを読んだときにふと思い浮かんだのが、犬阪毛野だった。
 彼が同性愛者であると指摘しているわけではない。大団円では最終的に小波姫を娶って子供も残しているわけだから。
 だが、特に太字の部分に興味を惹かれた。毛野の母調布はまさに妊娠中に粟飯原家断絶という悲劇に見舞われた。生死の狭間をさ迷わされたのである。
 江戸時代の人である馬琴がこのことを知っていたはずもないが、毛野の両性具有的な行動の裏にはこのようなものがあったら面白いなと思った次第。




2003/11/27

更新: 私説八犬伝人物像・政木大全孝嗣

 「対牛楼」も無事にオフラインでの原稿として提出。明日製本作業。
 現在トップに置かせていただいているCOCOROさんのイラストに小話をつけたいが、どうも時間がなくて挫折しきっきり。道節と荘助と濱路。しかし書いているうちに道節と荘助よりも濱路の方に感情移入をしてしまうためかどうにも主眼がずれる。困り者。
 題も検討中。「ラクレン」という音がふと心に浮かんだので「落恋」か「落縺」にするかと思われる。恋がオチルか縺れた糸がオチルか。どちらともとれてなかなかいい響きがするような気が。




2003/11/16

更新: 八のお題6「対牛楼苧環唄」

 当サイトは突っ走り気味ファンフィクションサイトなのでこういう文も許されるのではないかと。いや失礼。
 これまで二次創作文章を三つ書いたうち全て犬阪毛野が登場しているあたり自分も相当なもの。「八のお題」攻略の暁には是非八犬士全員を出したいものだ。ちょっと毛野には出番を控えていてもらおう。

 つい先日、碧也ぴんく氏の「八犬伝」を見つけて一巻のみ購入。印刷年月日を見たら1998年という代物。
 漫画として削るべきところは削りまくり、それでも正統派で意味が通るようにしたあたりはさすが。二話で伏姫受難の話を終えたあたり。
 キャラクタ的に一番気に入ったのは額蔵@荘助。女装信乃も非常に可愛らしかった。亀笹がビジュアル的にああなるとは思ってもみなかったが。
 糠助をうまく動かしているところがまた良い。
 碧也氏が非常な毛野贔屓ということで気が合いそうな作品。
 こんなところではあるが「伏姫屋敷」ゆーかさんに御礼申し上げたい。



お品書き > 読物 > 過去の雑記 一
[PR]動画